水急不流月

信じる道を突き進め

ボウズの釣行記、少しばかり格好つけると小さなストーリーへ変貌。

ふと空を眺めては、分かるはずも無い明日の天気を想像する。

晴れることを願っているからこそ、自然にとってしまう行動だ。

薄暗い空模様の続く6月。

 

雨の降っていない週末の夜に海岸線を車で走る。

窓を開けたその瞬間、車内に飛び込んでくるのは心地よい風と潮の香り。

たどり着いた車のヘッドライトが映し出したのは殺風景な港だった。

見渡す限り人っ子一人居ないその様子は、夜中でも釣り人でにぎわう秋の気配とは違い、どこか寂し気で誰かが来るのをヒッソリと待っているようにも見えた。

 

秋から冬、そして春と、それぞれのシーズンで釣れる魚種を追いかけては楽しんでいる私でさえも、雲が厚くかかるこの時期は釣行を避けることもしばしばあるのだから、それほどに釣れる魚種は少なく、港が静まり返っているのにも納得できた。

 

私は、何を釣るという明確な目的もないままに、気が付けば車を走らせていた。

いわゆる釣りバカってやつだ。

毎週末、海へ通い続けていた人間が、釣れるものがないからと家でじっとして居られるはずもない。

何も釣れなくてもいいのだ。

自分が幸せを感じることの出来る場所に身を投じ、雰囲気に酔いしれる。

ただそれだけでいい。

それだけで、日常の生活の中で少しずつ蓄積されていくストレスはリセットされる。

 

車から降りて誰も居ない港へと足を進めると、自分の足音だけが響いた。

海中の様子を伺う為に常夜灯の下へと入る。

静まり返った港の常夜灯に照らし出された一人の男。

それはまるで、観客の居ないステージでスポットライトを浴びる演者。

切なさの漂うステージで、何を演じるべきか思考を巡らす。

意を決した私は車へと戻り、これからステージで演じるストーリーを組み立てた。

私がステージに立った時に持っていたのは、エギングタックルだった。

 

一通り巡った思考はこうだ。

アジング。いや、いまいちサイズは良くないし、かといって数が釣れるわけでもない。

メバリング。時期的に終盤だし、釣って帰ったところで喜ばれはしない。

エギング。釣れるとは到底思えないが、もし出たならサイズは悪くないはず。何より持って帰って一番喜ばれる。

どの魚種でも釣れづらいことは間違いないのだから、釣って喜びの大きいものをチョイスしよう。

 

久しぶりに握るエギングロッド。

それを握った時に彷彿するのは、2018年の秋に仕留めた自己最高記録である2㎏オーバーのモイカ

あの時の感動は忘れもしない。

 

堤防の先端に立ち、起きるとは思えない奇跡の瞬間を夢見てゆっくりとロッドを後方へとテイクバック。

エギの重量がしっかりとロッドに乗った次の瞬間、静まり返った闇夜を切り裂くようにロッドを勢いよく振りかぶる。

誰も居ないステージの幕開けだ。

 

最高の演技をすべく、シャクリやダート、ステイ、フォール等のテクニックを駆使する。

それはすべて誰も知り得ることのない、いつ訪れるか分からないドラマのため。

 

幾度キャストを繰り返しただろうか。

くわえているタバコから立ち昇る紫煙はふわりとなびく風が連れ去っていく。

水面は大きく揺らぐこともなく、ただひたすらに寄せては返すばかり。

 

ロッドの空を切る音だけが闇に響き続ける。

 

水中の様子をどれほど頭の中で想像しただろうか。

水深、海底の状態、藻の生え具合や高さ、カケアガリの場所。

エギから伝わってくる感触は、全て脳内に鮮明に映し出される。

それなのに、モイカとコンタクトする様子だけが具現化できない。

 

こちらがどんなに集中して、真剣にアプローチをしようとも、何も応えてくれない非情なる海。

私は何度もマネキンにプロポーズしているような気になった。

そんな切ない気持ちを心にそっと閉じ込めるように、ロッドを竿袋へ入れた。

 

こうして私の独り舞台には、今日も観客は来なかった。

 

帰り際。

ふと海を眺めては、分かるはずも無い来週末の天気を想像する。

釣れることを願っているからこそ、自然にとってしまう行動だ。

薄暗い空模様の続く6月。

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