餌木の歴史はサムライ時代から
今日はエギの歴史について考えてみよう。
皆さんが当たり前のように使っている『餌木』。
今市場に出回っているタイプの餌木は大分型がベースと言われているのだが、その形状に至るまでの歴史を今回は振り返ってみたいと思う。
餌木の発祥
まずはエギのルーツからだが諸説ある中で有力なのが、「漁師の落した松明(たいまつ)にイカが抱き着いた」というもの。
そこから長い歴史を経て今の『餌木』というものになるのである。
興味のある方はこちらのシマノさんの動画をどうぞ。
魚型の餌木
『餌木』の歴史を調べると、300年以上も遡るらしい。
それは、未だサムライが居た江戸時代もしくはそれ以前なのである。
形として残っている『餌木』の最初の形だと思われているものが魚型と呼ばれるものである。
形状は現在の『餌木』よりも丸みを帯びているが、鉛の位置やカンナなどは既に現在と変わらぬ形であるのが解る。
小魚型の餌木
魚型から次に現れたのが小魚型。
魚型では本体が大きく、その本体のボディを小さくしたのが小魚型と言われるもの。
九州南部の暖流で育つ大型のイカに比べ、本州ではイカのサイズも小さい為、この形に進化したと言われている。
細魚型の餌木
小魚型からさらに進化した形状の餌木が細魚型と呼ばれるものだ。
この形状で既に私たちが普段目にする餌木の形状とほぼ変わらないものだとわかるだろう。
しかし、この細魚型の餌木も最初は模様など無く、「黒焼き」と呼ばれる一色のものだった。
明治時代の初期に細魚型に模様を施すようになり、明治の中頃には専門の職人も居たようだ。
この時点でほぼ完成形なものであるのが驚愕である。
地方での進化
餌木はさらに全国へと広まり、各地方で進化を遂げていきます。
現在でも大分型、山川型、山陰型などの餌木の名称を聞いたことがある人もいることでしょう。
地方での漁法等に合わせ進化を遂げていったのです。
その中でも万能型と思われる大分型の餌木が現在の餌木の主流となったのである。
最後に
このように私たちの生まれる遥か昔から餌木は存在していたのです。
サムライが武士の誇りを胸に刀を握っていた時代から現在まで、少しずつ形を変えながら進化してきた『餌木』。
私たちは釣り人(アングラー)としての誇りを胸に竿(ロッド)を握ろう。
そして、大海原という戦場で自然と向き合い勝利を収めるのだ。